時計

先発であるジュネーブが高級時計を主力としたのに対し、ジュネーブからの職人移住によって形成されたヌシャテルやジュラ山地の時計生産においては廉価な時計の生産が主力となっていた。

このうちフランスにおいてはナントの勅令がルイ14世によって1685年に廃止され、ユグノーが多かった時計職人たちは迫害を逃れてスイスへと移住し、まずジュネーブで、ついでその北東に位置するヌシャテルにおいても時計産業が栄えるようになり、この2都市がスイス時計産業の中心となっていった。

時計産業は、17世紀には手工芸的な産業であり、イギリス、フランス、スイスによって激しい技術競争が起こっていた。

しかし産業革命時代に入ると、的確な時間を知ることが不可欠になり、それまでの装飾品としての時計から実用品としての比重が急速に高まった。

時計の制作は複雑なため、個人ではなく職人たちがチームを組んで分業により制作する方式を採用していたが、これには一つ一つの部品が正確に製作され、それが組み合わされて狂いなく動作することが不可欠であり、この職人集団は結果として正確な機械製作技術を身につけることとなった。

このころまでの時計は、航海の安全に直結するクロノメーターを除けば、そんなには装飾品に過ぎなかった。

19世紀末から労働支出が安いスイス・ドイツなどが時計産業の中心となった。

ところが労働コストの上昇等により、アメリカの時計産業は20世紀前半までには衰退した。

この技術は他の機械製作にも応用されるようになり、産業革命の技術的基礎となった[。このころはいまだそこまで正確な時計は仕上げしていなかったが、米国西部開拓時代になると、的確かつ規格化された鉄道時計の需要が生まれ、精度の高い時計が求められるとともに、アメリカに開発・生産の焦点を移していった。

手作り腕時計

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